むきだしのことば。〜ワーママえむのブログ〜

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【出産レポ②壮絶な出産編】産声が聞こえない!鉗子分娩→救急車でNICUへ搬送。

出産レポ産声が聞こえない


初めての出産で、出産予定日超過で計画無痛分娩となりました。
お産の準備は、麻酔のおかげで、全然痛くない!

DVDを見ながら、のんびり子宮口が開くのを待っておりました。

だがしかし、甘かった・・・!
出産は何が起こるかわからない・・・!

その後のお産は壮絶な体験となるのでした。(でも、無事に産まれたよ!)
私の出産体験について、レポートします。
(2018年11月追記:息子は元気いっぱいに2歳になりました!

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お産が進まない!促進剤・人工破膜・子宮口を無理やり開く!

※ここまでの様子は、(出産レポ①)に書いています。

14時頃の時点で、子宮口は4センチ程度。
14時半頃、先生が処置をして「人工破膜」。これで、お産が進むらしい。
麻酔が効いているので、感覚がわからない。
痛くも何ともない。羊水が流れ出たのかどうかもわからない。

17時半〜18時頃(時間の記憶がない・・・)
子宮口8センチから開かず。ベビーも少し疲れて来ているとのこと。

「このまま、出産に進みましょう」と先生。

ベビー大丈夫?と少し心配になりながら、「もうすぐ会える」という気持ちが高まる。

そして、手で子宮口を全開に開く処置。ぐーっと押される感覚。
麻酔してるから、痛くない。けど、想像するだけで痛い・・。
これ、麻酔してなかったら、地獄なのでは。

その後、胎児の位置をエコーで確認。
すると、本来下を向いているはずの顔が上向きと発覚。

「このままだと赤ちゃん出辛いので、鉗子分娩にします」と先生。
とにかく、無事に産まれてくれれば!と思う私。

鉗子分娩するも難航!一気に慌ただしくなり、何とか誕生!

「鉗子分娩しますね」の言葉を皮切りに、一気に慌ただしくなる。
脚をお産の台にのせて、「あっ、もう産まれるのか!」と思ったのが最後。
これ以降は、とにかく必死で、記憶がやあふやです。
一瞬の出来事のような、すごく長時間だったような・・・。

先生が鉗子を用意して、「次の陣痛でいきんでね〜!」と言われ、必死にいきんでみる。
「はい、次の陣痛で、もう一度いきんで!」と言われ、必死にいきむ。

だんだん呼吸が乱れてきて、いきむタイミングもわからなくなる。
息苦しい・・・。とにかく苦しい。ハァハァハァ。
ややパニックにになりそうな私。

そんな中、一気に周りが慌ただしくなった。

助産師「先生!●●先生がいるので、手伝ってもらいますか?!」
担当医「すぐ呼んで!」

という会話が聞こえ、手伝うって何だろう?
苦しい。とにかく、早く産まれて欲しい。と思った。

気づいたら、周りに助産師さんと医者が増えていた。
「お手伝いしますね。陣痛のタイミングでお腹をおしますからね」
左側にいる新しい先生に説明された。

私はとにかく苦しくて、痛くて、何も考えられなかった。

お腹が張ったタイミングを伝えて、いきむ!
ぐぐっと強い力でお腹を押される。
3回ぐらいいきんで、お腹を押されたと思う。

 

助産師さんに、「下見て!下見て!うまれるよー!」と言われて、
はっと見るとベビー誕生!!

感動して泣くかと思ったら、そうでもなく。実感がわかなかった。
とても、不思議な気持ち。

それより、産声聞こえない!
「泣いてないけど、大丈夫ですか??!」が第一声だった。

赤ちゃんは外に連れ出され、処置してもらって、遠くで産声が聞こえた。
「大丈夫ですよ〜」と言われて、ほっとする。
ようやく、立ち会ってくれた主人と会話をしたような気がする。
けど、あまり覚えていない。

彼が側に居てくれて本当に心強かった。

息子はNICUへ、救急車で搬送されることに・・・・。

赤ちゃんは綺麗にしてもらったあと、一瞬だけ連れて来てもらえた。
ただ、出産に少し時間がかかったので、念のため保育器に。と説明される。
「大丈夫?とにかく無事でいて欲しい。」と思いながら、「はい」返事をする。

そして、わたしは子宮の入り口が切れたのと、会陰切開の縫合。
そういえば、出産中に「会陰を切りますね」と切開したのだった。
でも、記憶がほぼ無い。
出産前はおびえていたけど、出産中は会陰を切ることなんて大したことでは無い
(麻酔で痛くないというのもあるかも?)

縫うのにはかなり時間がかかった。
麻酔はきいているけど、分娩台の足置きに脚を上げるのが辛い。
とにかく苦しかった。吐きそうな感じが続いた。

「気持ち悪い」「吐きそうです」を、うわ言のように繰り返していた記憶。
縫合がやっと終わった辺りで、主人がまた入ってくる。

先生と主人から、ベビーの状態を説明される。
「出産に時間がかかったため、苦しかったみたい。呼吸数が多いので、念のため小児科医に見てもらったほうが良い。」
ということで、救急車でNICUへ搬送されることになった。
この時点では、私はへとへとで、???状態。

主人がテキパキと行動してくれる。
看護師さんが、もう一度ベビーを連れて来てくれる。
「頑張ってね。」と、ベビーの指を撫でる。

救急車が到着する。救急隊員の人が名乗るのが聞こえた。
主人が「行ってくるね。」と優しく声をかけてくれるのを見送った。
そして、ベビーと主人は出発。

不安は感じなかった。
彼が付いていれば、大丈夫。

私は、LDRで横たわったまま、呼吸の苦しさと、吐き気を感じてクラクラしていた。

数十秒後。
ピーポーピーポーと言う音が聞こえた。
ベビーがNICUへ搬送される音だ。

その瞬間、涙がボロボロこぼれた。

わたしは、まだベビーを抱いていない。
何事もなければ、いまここにベビーがいて、主人と両親とニコニコ写真を撮っていただろう。

ベビちゃん、ママがうまくいきめなかったから、時間かかっちゃったね。
内膜症が邪魔で、出て来ずらかったかもしれないね。ごめんね。
でも、頑張って出て来てくれて、ありがとう。
と、思っていた。


その後、呼吸がうまくできない感じで、とにかく気持ちが悪かった。
助産師さんに言われて、熱を測ると、かなりの高熱だった。
でも、よくあることらしい。

そして、通常よりも出血が多かったので、少し長めにLDRで休んでくださいね。と言われて、何時間かLDRで休んだ。

確か22時頃。お夕飯をこれ以降だと出せなくなるということで、持ってきてくれる。
でも、食欲が全く無い。デザートのフルーツだけ頂いた。

部屋に戻る時がきた。
私は、気持ち悪くてクラクラして、車椅子への移動すら、うまく動けない。

息が吸えない感じて、看護師さんにお水を勧められて一口飲む。
たぶん、過呼吸みたいな状態だった。

看護師さん二人に支えられて、何とか車椅子に乗ってお部屋へ。

フラフラしながら、ベッドへ潜り込む。
とにかく、気持ち悪くて、苦しくて、ヤバイと思った。

身体中が痛くて、眠れない。痛み止めをもらう。
それでも、カラダ中が痛くて眠れない。
お尻が全部痛くて、どの体勢もつらい。

トイレに行こうにも、貧血状態で立ち上がれず、歩けず。フラフラ。
そんな様子で、ほとんど眠れず。

深夜3時に主人が帰って来た。(個室なので付き添いで泊まることができる)
今日も、付き添いで泊まってくれる。ありがたい。

ベビーの状況を説明してもらう。
搬送先のNICUで検査した結果、とある治療をする必要がある。
しかし、その機械は埋まっていて使えない。
その機械が開いている別の病院のNICUへ、更に救急車で搬送される。
そして、その治療を行っているとのこと。

とにかく無事でありますようにと願うのみだ。

そして、私が母親になった長い1日が終わった。

※その後、息子は3週間ほどNICUへ入院後、無事に退院しました。
今は、とても元気に私の腕の中にいます。(現在、産後1ヶ月)

※息子は後遺症もなく、すくすく元気に育って2歳になりました!
アンパンマンとミッキーが大好きで、笑顔いっぱいの毎日です。


▼その後の経過

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▼その後、元気いっぱいです!

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▼出産レポ前編

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